1900年当時
「日本に西洋菓子を普及させる」という大きな夢を胸に、創業者森永太一郎がアメリカから帰国したのは1899(明治32)年。わずか2坪の工場で西洋菓子を作り始め、やがて松崎半三郎というパートナーを得て事業は飛躍的に拡大し、夢は現実のものとなりました。
エンゼルマークは、太一郎が当時よく作っていたマシュマロが「エンゼルフード」と呼ばれることにヒントを得て考えられました。エンゼルマークは誕生以来7回変わってきましたが、森永製菓のシンボルとして現在も使われています。
「携帯しやすさ」は現代のヒット商品のキーワードですが、森永は1914(大正3)年、当時バラ売りだったキャラメルを紙箱に入れた「ポケット用ミルクキャラメル」を発売し、大ヒットとなりました。以来黄色い箱のミルクキャラメルとして愛され続けています。
まだチョコレートが高級な輸入品ばかりで庶民の手に届かなかった時代、森永は最新の設備を輸入し、外国人技師を招いてカカオ豆からのチョコレートの一貫製造を開始。1918(大正7)年に初の国産ミルクチョコレートを発売しました。
創業して間もない1904(明治37)年に従業員の制服制帽を採用した森永は、1919(大正8)年、業界に先駆けて8時間労働制を導入。戦後も、早くから健康保険組合や厚生年金基金の設立を行うなど、職場環境整備の面でも先駆者として歩んできています。
キャラメルの副原料確保に練乳事業を手がけていた森永製菓が、1920(大正9)年に初の国産粉乳の大量生産を開始。翌年から「森永ドライミルク」を発売しました。