1936(昭和11)年、「森永母を讃える会」を作り、諸団体と協力しながら翌1937年に「母の日」の普及活動を全国規模で展開。「ありがとうお母さん」を日本に定着させました。
1944(昭和19)年、日本陸軍医学校と共同でペニシリンの開発に着手し、国産ペニシリン「碧素一号」を完成。戦争で傷ついた人々を救いました。
1954(昭和29)年、森永はビスケット製造用に全長70mのバンドオーブンを導入し、高品質ビスケットの大量生産を開始しました。
森永は戦前から広告の分野でもパイオニア精神を発揮してきました。1960(昭和35)年、チョコレートのバレンタインデー企画をマスコミを使って大々的に展開。バレンタイン行事が日本に定着するきっかけを作りました。